高見屋敷  ~渋茶爺の戯言~

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2010年 09月 01日

レコード屋がない! 本屋がない! 

(2~3年前の話だが)久しぶりで街に出てみた。
駅前の本屋を何件か立読みしたり、行き着けのレコード屋で新譜レコードを眺めたり
店のオヤジの音楽談義を聞くのが好きでよく時間潰しをしたものであった。
(友人との待ち合わせは決って本屋かレコード屋だった。
コーヒー代もない貧乏学生の時間潰しには持って来いの場所だった)

しかし・・・
本屋がない!
レコード屋がない!!
訳の解らないテナントが入っていたり、マ○キヨになっていたり・・・
無残なものだ。
昔からの本屋は2軒(1軒は移転していたが)、レコード屋は・・・
全国規模のチェーン店では「尻の据わりが悪い」
ちょっとしたカルチャーショックだった。

レコード(CD)屋、本屋の衰退の本質的な原因は何だろうか。
レコード(CD)屋に関してみると
巷ではネットを通じた音楽配信の普及が指摘されているが、はたして本当だろうか?
渋茶爺的には、それに加えてもう二つの要因があると考えている。
一つは、違法コピーや違法ダウンロードの蔓延である。
客も、無料で入手できるコンテンツにわざわざ金を払ったりはしないので、当然小売りにも大きく影響する筈。
もう一つは、アーテイスト自体の質の低下である。
音楽の進化は2000年で止まってしまったとの見解もあるらしいが・・・
(渋茶爺的には1990年と思う)
それまではジャズ、ブルース、ロック、レゲー、ラップなど新しい音楽の表現スタイルが断続的に生まれてきたが、
ここ10~20年の音楽は、マッシュアップ(音源の合成)がメインになっている気がする。
そのいい例として、リメーク盤リマスタリング盤の多さよ。
来日するアーティストの大半が70年代、80年代、90年代アーティスト・・・
後は言うまい。

ネット販売の弊害
ネット販売による深刻な影響として、客の興味や関心の広がりが制約されてしまいかねない。
国民の知の水準の低下につながりかねない。
レコード(CD)屋や本屋での客の行動を考えてみると、目当ての作品を探して買うのはもちろんだが、
レコード(CD)屋なら試聴、本屋なら立ち読みという行為を通じて、
これまで無関心だったり、知らなかったジャンルの作品に触れるてきたことが多々あった。
レコード(CD)屋や本屋で時間を過ごすことは、個人の興味や関心の拡大につながっていた。

しかし、ネット購入ではだいぶ違っている。
ネット購入の場合、別のCDや書籍をリコメンドされるが、
そこで推薦されるものが、購入したCDや書籍と同じジャンルのものばかり・・・
ネット上ではレコード(CD)屋、本屋で普通に起き得る新しいジャンルの作品との出会いは
あまり期待できなくなってしまうのだ。
これは、ユーザの購入履歴を手がかりに関連する商品を探すからであり
(確かに顧客管理は必要だが)管理プログラムに頼っている以上やむを得ないかもしれない。
渋茶爺は『売れればいい的な商売は嫌いだ!』

専門店がどんどん潰れて、大規模店舗が中心となり、CDや書籍を置くスペースが小さくなるにつれて、
人間の興味や関心の幅の拡大に貢献する度合いが低下していることも事実だ。

Jazzに没頭し始めた頃、何日か本屋に入浸りスイングジャーナル(2010年5月休刊)の
油井正一氏(故人)、ヰソノテルオヲ氏(故人)らの評論を立読みし、小生意気にも薀蓄を語り、
その脚でレコード屋に飛び込み、千円札二枚を握り締め、4~5枚のレコードを睨みつつ、
その中から一枚のレコードを選ぶ緊張感とスリルが快感で、
(選択肢に困った時は、ジャケット買いに全てを託した)
レコード屋の名入りの小洒落た袋(ただの紙のレコード袋)を大切に小脇に抱え、
片道30分の田舎列車に揺られ、もどかしい思いで帰宅するなり部屋に駆け上がり
レコードに針を下した瞬間の心地好さは、言葉には出来ない感動があった。
すべての緊張感が解き放たれた瞬間あった。

渋茶爺の田舎ではJazzに関しては殆どが本からの情報しかなく、
昨今のYouTubeなどという文明の利器はあろう筈もなく
唯々、専門誌からの情報とFMから流れる音楽だけが頼りであった。
当然アーテイストが動くことなどは有り得ない。
頁の端の小さな写真も見落とすまいと、眼を皿の様にしていた時代である。

『レコード一枚に対する想い入れが違っていた』
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by shibutya | 2010-09-01 11:49 | ぼやき


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